高麗茶碗を後世へ

 東山文化から桃山文化へ移ると時代の気風は大きな変化を遂げることとなる。すなわち人間の個性や自由に目覚める時代となる。

 美術の世界にも端的にこれが現れ、茶の湯おいても高麗茶碗がこれを象徴する。

 規格の枠にはまらず、自由に豪快に、またときには奔放に削り上げられた高麗茶碗に当時の茶の湯人である武将や数奇者は大いに魅力を感じたのである。

 そしてその粗放な持ち味がかえって侘び寂びの精神にもかなうこととなった。

 初めは朝鮮で生まれた本来の姿を愛で、やがて茶匠たちはそれぞれの意向を加えて注文を発し、それは江戸時代、対馬藩が朝鮮釜山の和館内に釜山釜を築き朝鮮の陶工を指導して注文品を焼かせた「御本茶碗」で完成されたことになります。

 長きにわたって我が国にもたらされ、幾多の茶匠や数奇者の愛玩をへて今日に伝えられた高麗茶碗には、茶の湯が本来持つ闊達な精神と数奇の心が見事なまでに集約されている高麗茶碗を後世に伝授して参ります。