鹿々本神社

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鹿々本神社由来

 西暦1517年、阿比留宗家は(伊奈村より鹿見村に居を移すに伴い)第12代藩主宗義盛より、宇麻志麻活命、伊奈村に存在する伊奈久比神社(大歳神・上古八幡尊神)の神体を併せ、鹿々本神社に祭る命を受ける。


鹿々本神社の3神体

1. 宇麻志麻活命ウマシマジ命(-のみこと)

 物部氏の祖とされる人物。『日本書紀』では「可美真手命(うましまでのみこと)」 と『古事記』では「宇摩志麻遅命」、『先代旧事本紀』では 「味間見命(うましまみのみこと)」と表記する。饒速日命が長髄彦の妹である三炊屋媛(みかしきやひめ)[1]を娶って生んだ子で、天香山命(尾張氏の祖)が異母兄であるとする伝えがある(『旧事本紀』)。

 『古事記』によれば、始め長髄彦に従っていたが、神武天皇の東征に際して長髄彦を殺し天皇に帰服し、以後自らの部族である物部(もののべ)を率いて皇城守護の任に当たったという[2]。

 また『旧事本紀』によれば、神武天皇即位の後、饒速日命の遺した10種の天璽瑞宝(あまつしるしのみづたから)を献上し、それを使って天皇と皇后の魂を鎮める呪術を行ったとされ、これを後世の鎮魂祭の初めとしている。

2.大歳神 大年神 (おおとしのかみ)。

 日本神話の神。 太歳神 (たいさいしん)。陰陽道の神。

3.上古、八幡尊神

 上古八幡尊神を伊豆山に祭る時、大空に奇しき声あ り。白鶴稲穂を銜え来り、これを澤の邊に落し、たち まち大歳神となる。その霊を祭りて稲作神となし、田 を開きて落穂を植え、神饌を得てこれを祭る。