對州窯の歴史
慶長14年(1609年) | 文禄・慶長の役(1592~一598)後途絶えていた朝鮮との国交が回復。釜山に倭館が再説される。日本から朝鮮に御所丸、金海、彫三嶋などの高麗茶碗が対馬藩を通じて注文されるようになったと推測される。 |
寛永16年(1639) | 倭館内に釜山釜が開窯し、徳川幕府は対馬藩にその運営を任ずる。享保初期までの約八十年間、対馬より板倉忠助、阿比留(中庭)茂三など幾多の藩士が釜山に出向いて現地の陶工を指導御本茶碗など茶道具を焼かせる。 |
享保3年(1718) | 朝鮮での陶土や燃料の供給が困難になり、釜山釜廃絶これを機に対馬に対馬藩御用窯「對州窯」が開かれ、明治末まで二百年近く継承。 |
昭和48年(1973) | 小林東五、高麗陶磁の研究の渡韓。以後八年間開慶の李朝古窯観音窯にて主に三嶋系統の再現に力を注ぐ。 |
昭和56年(1981) | 鶏龍山古陶と同じ土を求め、対馬に對州窯復興。 |
平成17年(2005) | 日本橋三越本店での古希記念展を最後に閉窯。 |
平成18年(2006) | 小林東五より對州窯を継承する。 |
平成21年(2009) | 焼物と文墨の里虎丘に對州窯を移転對州東五記念館など併設。 |
平成25年(2013) | 福岡三越(4月)にて、再興對州窯展を開催する。 |
平成26年(2014) | 日本橋三越(3月)にて對州窯展を開催する。 |
平成26年(2014) | 京都思文閣(9月)にて對州窯展を開催する。 |
平成27年(2015) | 千葉県湯の里(7月)にて展示会を開催する。 |